趣味の石鹸作りから業としての石鹸作りに変わるとき

こんにちは、セトラグリーンです。

全4回の創業塾が無事終了しました。
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たった4回という短い期間でしたが、たくさんのことを学び、たくさんのことを得ることができました。その中でも大きいのは「創業塾の同期」の存在。

創業塾でお世話になった担当者さんからは、
こんなメッセージをいただきました。

「これから皆でスクラムを組んでお互い頑張りましょう!」

この出会いがわたしに変化を与えてくれるような気がしています。

手作り石鹸はボウルと泡立て器で作ります。

ところで、化粧品の製造販売業になるまでのことを書こうと思っていたところで中断していましたが、またボチボチと書いていこうと思います。

事業計画書の作り方を学んだところなので、
その流れに沿って書いていきますね。

事業をはじめるに当たって、最初に事業計画書を作成するわけですが、それにはまず自分の過去の経験や実績、それから事業をはじめる動機や目的を洗い出していきます。

それにならって、わたしの過去の経験から書いてみたいと思います。

わたしは長く機械設計の会社でCADオペレーターとして勤務していました。今は情報漏洩の観点から図面のほんとどを大企業も社内で作製していますが、それまでは図面の外注化が一般的で、中小企業の設計会社は必ずどこか大企業の設計を請け負っていました。わたしの仕事も同様でした。

機械図面というと普通は車や工場にある機械など動くものを想像すると思うのですが、わたしが描いていたのは機械図面なのに動かないもの。

わたしは原子力の再処理事業関連の図面を描いていて、そのほとんどがキャスクと呼ばれる容器の図面でした。

福島で問題となった原子力発電なんですが、その燃料であるウランは使用後も再処理することで、燃料として再利用することができます。そして再処理されたものをまた原子力発電所に戻すのですが、この一連の流れを再処理事業と呼んでいます。

燃料を取り出して原子力発電所から再処理施設に輸送するには、特別な設計をした専用容器が必要で、それがキャスクと呼ばれるもの。

わたしがかかわっていた仕事でした。

再処理事業って不思議なもので、そのほとんどが将来に向けての計画のみの作業で、わたしは再処理事業に結構長くかかわっていたんですが、カタチになったものはすっごく少ないんです。それなのに予算だけは潤沢にある、そんな時代がありました。

昔はものすごかったそうです。

淡路島のカレンデュラを使った石鹸

それが、原子力事業に関するトラブルが続いて、年々事業そのものの進展が鈍っていったこと、情報が外部に漏れないように図面の外注化が見直されていたことなどが重なって、仕事量は年々減少していきました。

そこへ福島の原発事故がさらに追い打ちをかけました。

原子力関係以外の仕事でも図面の仕事は減少していました。
時代の流れとともに国内のモノづくりが減っていたんです。

わたしのいた業界は、世の中が不景気だと言われはじめてもすぐには実感がなくて、遅れてやってくるんです。なので、「あれ、不景気なのに大丈夫っぽい?」って油断してたら、実はジワジワと不景気が忍び寄っていて、それを見て見ぬふりをしたのかどうかわからないんですが、みるみる会社の業績が悪化していったんです。

そのときのわたしの将来的な不安は相当なもので、3年先、5年先の自分が想像できなくなっていました。

それまでにも何となく、「石鹸を販売するにはどうすればいいんだろう?」って、石鹸作りをしている人なら一度は考えたことがあることを「事業化するにはどうすればいいか?」真剣に考え始めたのがこのときです。

それが2013年のことでした。