父が胆管がんと診断されてから40日経過した時点の話を書きます。
こんにちは。
セトラグリーンの松本ひさこです。
介護日記の続きです。
父の入院生活は当初2週間程度の予定でしたが、どんどん長引きました。
胆汁を流すためにステントという管を入れる処置をしてもらったところ、一日で黄色い身体が元の肌色に戻り、数値も正常値にお落ちついていますと病院から連絡がありました。
入院の際行った検査結果が出ているので、その説明をしたいので、一度病院に来てくださいということで、病院で先生から説明を受けたところ、父の症状は胆管がんのステージ4ということが判明したんです。
たとえステージ4の癌であったとしても、小さなお子さんがいて家族を支える立場の人の場合、手術を行うそうなんです。でも父の場合、高齢なので手術は行わず、抗ガン剤治療をやっていきましょうということになりました。それで、症状を見ながらゆるめの抗がん剤で治療を始めることになったんですけど、その治療に入る前に胆管がまた狭まってきてしまいました。
なので、最初の管を抜いて、長さの違う2本の管を入れて通りをよくする処置を行いました。そしたら、2度目の措置で身体に炎症が起こって発熱したんです。肝臓にも転移しているので、何か処置をするとどこかに影響が出て、それを抑えるために24時間の点滴をしたり。
それで食欲が落ちどんどんやせ細っていき、抗がん剤治療を始める前に体力が消耗してしていきました。黄疸が出たときに、ギリギリ保っていたバランスが崩れたようです。
で、先生からは今の状態だと抗がん剤治療に耐えれるだけの体力がないし、父本人が家に帰りたがっているということで、緩和ケアを提案されました。
父の人生は父のもの。
父の選択は全部受け入れて支えていこうということは、入院が決まった時点での家族全員の共通認識だったので、緩和ケアの方向で話をすすめてもらうことになりました。この時点で入院から40日が経過していました。
入院先の病院は治療をするための病院なので、治療をしないとなると別の病院(緩和ケアの病院)に転院しなければいけなくて、ここから先は病院の相談員さんが間に入って病院の引継ぎをしてもらうことになりました。
相談員さんから提案された方法は、自宅療養に切り替えて入浴介助はこれまで通っていたデイサービスを利用する。父の健康状態は、訪問看護を利用して診てもらう。そしていよいよ症状が悪化して自宅でみれなくなったときは緩和ケアの病院へ入院するという、みんなで連携して支えていくというものでした。
訪問看護を受け入れてくれる病院探しから、緩和ケア病院への登録、これらすべてを病院の相談員さんが対応してくれました。緩和ケアの病院は、神戸市内にある2つの病院を提案してもらっています。
自分のところの病院を退院したら「はい、さようなら」じゃなくて、そのあとの病人のこと、これから支えていく家族のことを考えたプランを提案してもらったことに、「病院すごっ」「日本の医療すごっ」って、ちょっと感動しました。
介護をしていく中で今後、いろいろな問題が出てくるかもしれないですけど、今時点では不安要素がひとつもない状態にしてもらえたことは、とても大きかったです。
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